Kalihi Union Church

History of Japanese Fellowship

カリヒ・ユニオン教会の歩み

1900年初頭、セントラル・ユニオン教会とカウマカピリ教会に属する数人のクリスチャンリーダー達の心に、歴史あるカリヒ地区の住民へ思いを向けるよう、神が働きかけました。
 神はこのビジョンを明確に示されたので、次のような使命を持って、現在のカリヒ・ユニオン・チャーチが誕生しました。
 その使命とは、「神の栄光のため、同胞への奉仕のため、信仰生活における相互援助のため、そして、この地上にキリストの王国を建て上げるため」(創立総会の議事録から引用)でした。
 ホーレス・ライト・チェンバレン牧師(在任期間1906−1915)は、カリヒ地区の住民の伝道に大きな役割を果たされました。現在のカリヒ・ユニオン・チャーチはチェンバレン師の導きのもとで設立されました。

 

"Come to me, all who are weary and heavy burdened, and I will give you rest. Take my yoke upon you and learn from me, for I am meek and gentle and humble at heart and you will find rest for your souls. For my yoke is easy and my burden is light."

カリヒ地区での奉仕活動がか始まった頃、この地域は日本の本土と沖縄出身の移民がとても多い場所でした。やがて、この日系移民一世たちにイエス・キリストの福音を伝え、彼らの霊的な必要を満たすため、伝道が急務であるということが明らかになりました。
 この必要を満たすため、神が奉仕者を遣わして誠実にお応え下さった、ということを重ねて申し上げます。

◯日本語部設立に尽力された人々

 ポール・ウォーターハウス牧師(在任期間1935−1947、臨時主任牧師として1949−52)は、長期にわたって日本で宣教活動を行っており、カリヒの日系一世移民に対しても深い愛情を注がれました。日本語部は、このウォーターハウス師の指導によって、1945年に非公式で設立されました。同年、サガワ・シンゾウ牧師が日本語部初代牧師となりました。当時の信徒数は15人でした。
 聖公会の牧師であったフカオ・タジイ牧師とアンドリュー・オータニ牧師はサガワ師の後任となり、第二次世界大戦中、日系人兵士の親たちがオータニ牧師の牧会を受けました。
 1952年、日本語部が正式に承認され、組織されました。エドワード・オヤカワ牧師(日本語部在任1952−1970)の引退後、ホノルル・クリスチャン・チャーチのデイビッド・ホソミ牧師が日本語部のため、大いに尽力されました。


 1976年、カゲヤマ・トシオキ牧師(日本語部在任1976−1981)が初めて常勤の日本語部牧師として着任。その後、1983年には日本語部のメンバーがカリヒ・ユニオン・チャーチの正会員となりました。
 マルヤ・シンヤ牧師(日本語部在任1983−1996)は、「子育て心理学」のセミナーを通して、多くの若い親たちが教会へと導かれました。
 1988年には多目的会堂が建設され、英語と日本語という二つの礼拝が同時に行われるようになり、現在まで、この会堂は日本語部にとって非常に重要な役割を果たしています。
 2001年、鈴木洋吉牧師(日本語部在任2001−2003)が日本での伝道活動を退かれ、ホノルルへ移住すると同時に、日本語部のために力を尽くされました。2005年には、日本のグレースミッション教団のシオン子供合唱団をカリヒ・ユニオン・チャーチがホストとなり、迎え入れました。
 2005年、日本語部はハワイ日本人キリスト教連盟(現在はハワイ日本語キリスト教会連合)を通じて、テレビやラジオでの伝道によってハワイの日本語を母国語とする方々に神の福音を広く伝えています。